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2008年03月16日

「追撃者」症候群で見た2004~08映画俳優攻防

starnewsより)
 このごろは既にキム・ユンソクとハ・ジョンウの話ばかりだ。ナ・ホンジン監督の大当たりスリラー「追撃者」のせいだ。ハリウッド リメークまで直ちに推進されるほど国内外であれこれ波紋が大きい。とにかく去る2月と今3月は2月14日封切られた「追撃者」が中心に立っている。他の作品が気が許せなくて深刻な春窮期を送るのが欠点だが。
 大韓民国映画会社に初めて1000万突破記録を立てたソル・キョング、アン・ソンギの「シルミド」'が封切られたのが2003年12月24日。以後2008年の「追撃者」まで韓国映画封切り社はすなわち主演俳優興亡社に違いなかった。観客とマスコミ、評壇がからだがほかほか熱くなるほど熱狂した俳優は直ちに彼(彼女)が引き受けた映画の顔になる運命でもあった。観客と共に泣いて笑ったその俳優、その歓喜と挫折の軌跡。
 * * *

2004年..エネルギーがうごめいていたその年

 カン・ウソク監督の「シルミド」がパッと開け放した1000万観客時代はわずか1ヵ月余りでカン・ジェギュ監督の「太極旗を翻して」にバトンを受け継いだ。そしてその主人公は戦争渦中に「目(雪)白身が帰った」チャン・ドンゴンと「兄、これがみな夢ならば良いだろう」として顔を落とし込んだウォンビン。二人のトップスターでこそこの幸せな2004年初めの二つの主演俳優であった。

 だが2人の俳優は次期作「台風」と「うちの兄」で約束でもしたように大きな存在感を見せることができなかった。

 「太極旗を翻して」に続き観客をさっとひきつけた主人公はまさに「国民の妹」ムン・グニョン。2004年4月2日封切られたキム・ホンジン監督の「幼い新婦」で「私はまだ愛を知らない」を呼びながら、方々走った「幼い新婦」ムン・グニョンは直ちに話題の中心に立った。劇中の「大学生」キム・レウォンの幼い新婦に変身した彼女に「国民の妹」という修飾語がついたのもこの時が初めてだった。ただしこの強烈な成功作の後光が俳優としてムン・グニョンに薬になるのか毒になるかはまだ検証中だ。

 ムン・グニョンの株価がこのように暴騰した時、一角ではパク・シニャン、ペク・ユンシクがチェ・ドンフン監督と共に興行の再構成をしていた。それはこの年の4月15日に封切られた「犯罪の再構成」という映画だ。特にパク・シニャンはこの犯罪スリラーで1人2役を完璧にやり遂げて、後日ドラマ「漬かったウイ戦争」でもう一度立証することになるサビロク分しない演技力を誇示した。とにかく久々に観客に「頭ちょっと使いながら見ること」を強要したこの映画は韓国でも「オーシャンズ イレブン」のような作品が出てくる可能性があることを知らせたwell made力作だった。

 だが誰がなんと言ってもこの年夏の最高スターは断然カン・ドンウォンだった。「化産苦」を作ったキム・テギュン監督が決意して作った鳥肌メロー「オオカミの誘惑」(7月23日封切り)でその大きい目でぽたぽた落とした太い涙。カン・ドンウォンはこの映画一本でスクリーンに飛び込んだ背が高い少女漫画男主人公になってしまった。だがカン・ドンウォンの幸運はここまで。以後ハ・ジウォンと一緒にしたイ・ミョンセ監督の2005年期待作「刑事」は火品ないあらすじで興行で惨敗をした。

 一方チェ・ミンシクはこの年秋煮え湯を飲まされなければならなかった。わずか数ヶ月前の5月「オールドボーイ」でフランス カンヌ浜辺を優雅に踏んだ彼が江原(カンウォン)洞炭鉱村で大変にとった「花が咲く春がくれば」(9月23日封切り)が興行で光を追い立てたのだ。「オールドボーイ」の槌入った男(社内)で「花春」の指揮棒入った音楽教師に変身した努力を観客は熱心に分からないままだった。だがチェ・ミンシクは翌年の2005年4月リュ・スンボムと息を合わせた「げんこつが泣く」で再起の踏み台を用意すると、7月イ・ヨンエと息を合わせた「親切なクンジャさん」で派手に再起に成功した。

 ソル・キョングも12月15日封切られたソン・ヘソン監督の「力道山」で苦労しただけ甘い評価を受けることが出来ないケースだ。その年夏日本撮影現場で苛酷な夏の暑さをプロ レスラー力道山でくやしくて、根気強く耐えたけれど、観客はたやすくは受け入れなかった。以後チョン・ジュノとともにした「公共の敵2」(2005年1月)、ソン・ユナとともにした「愛をのがす」(2006年1月)、チョ・ハンソンと一緒にした「熱血男児」(2006年11月)も期待ぐらいまともに拍手を受けることができなかった。そうするうちに昨年2月キム・ナムジュとともにした「そいつの声」でかろうじて回復したのでソル・キョングにずっと4編は大変だった時期が明らかだ。

 * * *

2005年..well made映画が多かったその年

 2005年は誰でも認めるように「草原が」チョ・スンウが開いた。1月27日封切られたチョン・ユンチョル監督の「話アートーン」でシマウマとチョコパイが好きな自閉症の草原が。「草原がアイロンをかける百万ドル橋(脚)」「雨がざあざあ降ります」等草原異議劇中大使はそのまま日常の流行語になったし、前年イム・グォンテク監督の「下流人生」の興行失敗で意気消沈するところだったチョ・スンウはもう一度興行俳優に跳ね上がった。映画終盤熱心に走った草原であるやはり最高であった。

 この年にもムン・グニョンの熱風は続いた。いやさらに強くなった。2月16日「幼い新婦」以後次期作の「ダンサーの純情」で磨きあげたムン・グニョンのダンス実力が公開された日。撮影現場には何と200人余りの取材陣が集まった。映画使用側も設立以来このように多くの取材陣が集まったのは初めてとし広げた開いた口が塞がらなかった。そして4月28日「ダンサーの純情」が封切った時、観客はもう少し成熟した「延辺娘」ムン・グニョンに大きな拍手を送った。

 しかし一角では苦々しくて不吉な気勢も回った。まさにイム・ピルソン監督のブロックバスター「南極日記」が投資に比べて一種の災難とも同じ結果を産んだこと。ソン・ガンホ、ユ・ジテ、カン・ヘジョンという豪華キャスティングに長期間のニュージーランド現地撮影など色々な話題をさらったが本来5月19日トゥコンを開いた結果は惨敗に近かったこと。おかげで南極の到達不能点に向かった「探検隊長」ソン・ガンホや隊員ユ・ジテの労苦も残念さにだけ残った。だがソン・ガンホは翌年の2006年7月「怪物」の成功で一気に名誉を回復した。

 パク・チャンウク監督の「親切なクンジャさん」(7月29日封切り)もイ・ヨンエのカリスマと底力が断然引き立って見えた映画。「クムジャ」イ・ヨンエが伝導師に鋭く言い放った「君も上手です」は、映画が終わっても重ね重ね話題になった。イ・ヨンエとしては2003年MBCドラマ「大長今」の大当たりに続きスクリーンでも「イ・ヨンエ」の名前三文字が通じることを立証した快挙であった。彼女はこの映画で翌年ベルリン国際映画祭審査委員になる光栄まで抱いた。

 だがこの年夏観客を幸せにした映画は何といっても何と800万観客を動員したパク・クァンヒョン監督の「ウェルカム トゥ ドンマッコル」(8月4日)ではないか。韓国北朝鮮軍人が平和に銅山で遊んだそのファンタジー。そのうちでも「狂女」に変身したカン・ヘジョンの存在感こそこの映画の白眉中の白眉であった。「腕をあれこれはやくちょうど掻き回せばこの橋(脚)がはやくなって..」に続く彼女の江原道(カンウォンド)なまり語録はこの年最大の流行語であった。

 これに比べて「最高の韓流スター」ペ・ヨンジュンに2005年はとても困惑している一年でもあった。まさにホ・ジノ監督の「外出」(9月8日封切り)でソン・イェジンとメロー演技をしたけれど韓国ファンからまともに認められることができないこと。代わりに日本ファンが熱狂的支持を送ってくれたのが慰安といえば慰安だった。ペ・ヨンジュンはこの時(しわがよる)台なしになった自尊心を2年後の昨年ドラマ「太王四神記」で取り戻した。

 この他に9月23日封切ったパク・ジンピョ監督の悲しいメロー「君は私の運命」はファン・ジョンミンにその有名な「食卓所感」を産み、エイズにかかった純情な女性チョン・ドヨンも久々に存在感を誇示した。だが「無影剣」(11月18日)のシン・ヒョンジュンとイ・ソジン、「台風」(12月15日)のチャン・ドンゴンとイ・ジョンジェ、「青鉛」(12月29日)のチャン・ジニョンとキム・ジュヒョクは映画に対する期待が大きかっただけに結果的にさらに苛酷な試練期を送らなければならなかった。

 * * *

2006年..1000万映画が2編も出てきた年

 「王の男」と「怪物」. この二編の映画は自他が公認するように2006年を象徴する強烈なキーワードだ。

 まずイ・ジュンイク監督の「王の男」は2005年12月29日封切られ、2006年3月11日1200万人を動員した。最高の話題を集めた俳優はやはり「女よりさらに美しい」イ・ジュンギ。ちょうどこの年超スクリーンクォーター縮小反対映画関係者1人デモが熱かった時だ。イ・ジュンギを見るために駆せ参じた人波で鐘閣一代(一帯)は歴代俳優1人デモ史上最高の長蛇の列が出来ることもした。だがイ・ジュンギは以後8月イ・ムンシクと一緒にした「フライ ダディー」の興行失敗で「コンギル」の熱気を継続することができなくて残念な思いをした。

 7月27日封切られたポン・ジュノ監督の「怪物」も「王の男」に劣らなかった。観客数は1301万人で「王の男」より多かった。やはり成功的な「ポン・ジュノ リトンジ」であった。お客さんに与えるイカ橋(脚)一つさっと口を尖らせたソン・ガンホ、あえなく死んでいった「お父さん」ピョン・ヒボンもこの映画で名をはせたが、それでも映画で最も大きい同情(動静)と恐怖をかもし出した主人公はやはり漢江(ハンガン)毒劇物を食べて奇形的に育った私たちの主人公「怪物」だった。

 そしてもう一度さく烈したのがホ・ヨンマンの漫画を原作にしたチェ・ドンフン監督の「乗って塩辛くて」(9月28日)。「草原が」チョ・スンウが白鳥で、ペク・ユンシクが平鏡長で、キム・ヘスが本当にマダムに出てきた。そして今になってオイまた検証されたわけだが省けない人物1人がまさに容貌からものさびしくて凶悪だった餓鬼駅のキム・ユンソクだ。この頃「追撃者」でハ・ジョンウとまともに勝負した前職刑事。まさにその人物。今でもこの餓鬼を忘れることができない「乗って塩辛くて」ファンが多い。

 だが2006年は同時に徐々に韓国映画の危機を知らせた時期で、期待作の引き続いた興行惨敗で主演俳優の体面が話にならなく削られた時期でもあった。「愛などは必要なくて」(11月9日)のムン・グニョンとキム・ジュヒョク、「その年夏」(11月30日)のイ・ビョンホンと水際、「愛する時話すものなど」(11月30日)のハン・ソッキュとキム・ジス、そして「中天」(12月21日)のチョン・ウソンとキム・テヒ。大韓民国を代表するこれらトップスター俳優の作品の興行不振に何という言葉がなくなった。

 * * *

2007年..乞食と大当たりの両極化で記録された年

 2007年はキム・アジュンの「マリア~アヴェマリア」に開け放した。まさに前年度12月14日封切られ、封切り45日で全国観客600万人を動員したキム・ヨンファ監督の「美女は苦しくて」だ。映画終盤のキム・アジュンが突き出してしまった「マリア」の衝撃と感動と変身はとても強かったし、キム・アジュンは一躍忠武路(チュンムロ)の第1交渉スターになってしまった。

 引き続き2月1日封切ったパク・ジンピョ監督の誘拐スリラー「そいつの声」では子供誘拐された両親ソル・キョングとキム・ナムジュが最高の涙演技をしながら自分たちの存在をファンに知らせた。特にソル・キョングとしては前作「熱血男児」の興行不振悪夢から抜け出した契機になった。だが年末キム・テヒとある「戦い」(12月13日)でまた体面を台なしにしたので世間のことそれこそ塞翁の馬だ。

 一方興行とは関係なしでイ・チャンドン監督の「密陽(ミリャン)」(5月24日封切り)は国内外で大きい話題をさらった。まさに金側のような子供を倉卒間に誘拐された女主人公チョン・ドヨンがカンヌ映画祭で主演女優賞を受けながら世界的な女優に跳ね上がった。カーセンター主人(住人)に出てきたソン・ガンホも前作「優雅な世界」の興行不振を一気に挽回させた力作でもあった。

 この他に9月20日封切ったクァク・キョンテク監督の「愛」では誰より愛に全てのものを投げて裏切ったチュ・ジンモと「極悪ばたや」で分限キム・ミンジュンの演技変身が断然引き立って見えた。11月14日封切られたウォン・シニョン監督の「セブンデイジ」でほとんど10分に一回ずつ観客の腹を握りしめるようにさせた刑事パク・ヒスンのコミック アドリブもこの年韓国映画がおさめた大きい収穫中の一つだ。

 とにかく2007年は乞食と大当たりが克明に分かれた一年であった。1980年光州(クァンジュ)をまた話したアン・ソンギ、キム・サンギョン、イ・ジュンギ、イ・ヨウォン主演の「派手な休暇」(7月26日)が728万人を動員し、シム・ヒョンレ監督のうわばみ(大蛇)アクション「ディーウォー」(8月1日)は論議に論議を繰り返しながら842万人を動員した。またこれには至らないがホ・ヨンマン原作の「居候」(11月1日)も300万人を呼び集めながらキム・カンウ、イ・ハナ、イム・ウォニの存在を世の中に知らせた。

 しかしこのように「なった」映画よりは「ならない」映画がはるかに多かったしそれだけ俳優も大変に送った太陽がまさに2007年だった。「1番街の奇跡」のハ・ジウォンとイム・チャンジョン、「撃つ」のキム・スロとカム・ウソン、「移葬と郡の長」のチャ・スンウォンとユ・ヘジン、「千年の学」のチョ・ジェヒョンとオ・ジョンヘ、「息子」のチャ・スンウォンとリュ・トクァン、「まぶしい日に」のパク・シニャン、「黄真伊」のソン・ヘギョ、ユ・ジテ、「リターン」のキム・ミョンミン、「クォンスン分与社拉致事件」のカン・ソンジン、ユ・ヘジン、「楽しい人生」のチョン・ジニョン、キム・ユンソク、キム・サンホ、「幸福」のファン・ジョンミンとイム・スジョン、「M」のカン・ドンウォンとイ・ヨンヒ、「スカウト」のイム・チャンジョンとオム・ジウォン..。

 そしてこのような2007年仕上げは「戦い」(12月13日)のソル・キョングとキム・テヒ、「用意周到ミス神(靴)」(12月19日)のハン・イェスル、「ヘンゼルとグレーテル」(12月27日)のチョン・ジョンミョンがはっきりとした。それも期待にはるかに至らない側でた。特に「戦い」を通じてまともに演技変身を試みたキム・テヒとしては「中天」に続き2年連続興行に失敗、本人はもちろんファンに大きな衝撃を抱かれた。

 * * *

2008年..まだ「優生順」と「追撃者」だけが見える

 このように2004年から2007年まで4年間にあふれた数百編の映画は、とにかく劇場を探す観客数を爆発的に増やすのに貢献した。歴代興行トップ10に入った映画の中で2001年作の「友人」(818万人. 6位)を除いては9編皆が2004~2007年開封された映画であるためだ。

 それでは今年に入っては? ひとまず現在としては1月10日封切られたイム・スンレ監督のハンドボール奮闘期「私たちの生涯最高の瞬間」が300万人以上の観客動員に成功しながら、ムン・ソリ、キム・ジョンウン二人の女優の存在を刻印させた。特に二人の女優は去る1月29日北京オリンピック アジア予選したこと女ハンドボール再競技を直接現場で応援、韓日両国マスコミの集中的な関心を受けた。

 「優生順」以後にはやはり連鎖殺人魔撃退期に他でもない「追撃者」のキム・ユンソクとハ・ジョンウが独走している状況。「大韓民国のすべてのシナリオは現在2人の俳優に集まる」という声があるほど2人の俳優は話題の中心に立っている。その間「スーパーマンだった男」(1月31日封切り)のファン・ジョンミン、チョン・ジヒョン、「ラディオ デイズ」(1月31日封切り)のリュ・スンボムは惨敗に近い興行成績に煮え湯を飲まされて対応を成し遂げた。

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Posted by ゆうじ at 05:41│Comments(0)映画
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