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2009年08月29日

チャングムの花火のような15年ラブストーリー①

チャングムの花火のような15年ラブストーリー①日刊スポーツより)
 イ・ヨンエ(38)と事業家チョン氏(46)の結婚は、15年の愛の結実という点で一つのドラマを彷彿とさせる。ホームドラマのような笑いと歓喜の瞬間もあったが、他の人々が知らない涙と苦痛の時間もあった。チョン氏を10年間取材して接した二人のラブストーリーを3回に分けて紙上中継する。
 チョン氏とイ・ヨンエが初めて会ったのはイ・ヨンエがマモンドCFモデルにピックアップされた頃だ。「酸素のような女」というニックネームがついて広告界の神聖にちょうど浮び上がった時だ。当時チョン氏は米国でイリノイ工大を卒業した後帰国、某大企業退社後、自身の事業を拡張した時期であった。
 米国の有名IT企業の韓国支社長になった彼は、通信関連事業に注力している間、ある私席でイ・ヨンエに会うことになる。広告企画会社を運営する友人が用意した席であった。当時チョン氏の目にイ・ヨンエは真っ黒な社会後輩であった。好奇心が多いチョン氏はイ・ヨンエに芸能界の生活についてあれこれ尋ねたし、イ・ヨンエは落ち着いているチョン氏を大きい兄のように考えるようになった。

 そのようにかすめてしまいそうだった二人の縁は細いが長く続いた。チョン氏の事業はかなり繁盛し、イ・ヨンエも俳優として常勝疾走した。だがいつも快晴だと思った二人も間々危機を体験し、その都度そのスランプは二人をより一層かたい縁のひもに連結させた。

 決定的に二人が近づいたのは、2000年代中盤にチョン氏に試練が相次いで近づいた時だ。事業は思い通りいかず、結局米国本社は韓国事業撤収を決めた。その頃挫折と失意に陥ったチョン氏をそばで慰めて話し相手になった人がまさにイ・ヨンエであった。

 自分と対話相手もならないと思った後輩イ・ヨンエが徐々に女に見え始めたのもこの時だったと推測される。イ・ヨンエも誰に明らかにすることができない有名人の孤独さをチョン氏とは安心して共有することができた。

 チョン氏はイ・ヨンエに対して「スター意識がない謙虚な人」と口癖のように話す。イ・ヨンエのように有名税を得れば、われ知らずふんぞり返って傲慢になりやすいが、イ・ヨンエは正反対というものだ。彼は「自分が出演するCF製品まで金を払って買う姿を見て本当に正しい人という考えを何度もした」と話す。どこへ行こうが特別なもてなしを受けるのを嫌い、それで煩雑なところを行かない性格もチョン氏の心をとらえた。

 それで二人は物寂しい散歩道デートをたびたびした。特に雨の降る日、大統領府前の道を主に歩いた。一度は郊外周辺警備を担当していた警護員が「イ・ヨンエ氏と違うか」と尋ね、サインを要請したが傘の中イ・ヨンエが「うわさを立てないで欲しい」として慎ましく笑ったという逸話もある。

 大統領府の散歩道を頻繁に訪れて見たら警護員の間では「状況一つ。チャングム浮かび上がった」という無電交信が何度もあったという。イ・ヨンエが現れれば反対側の散歩道にイ・ヨンエを見るための警護員がこんもりと集まって、二人を苦しくこともある。それでも二人はこちらを頻繁に訪れた。イ・ヨンエがその道を唯一好んだためだ。2編に続く。。。

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